マスプロオヤジは私たちの鏡なのかも知れない

15年以上も前の話しですが、先輩と一緒に設計した無人搬送車の製作を行ってくれていた業者さんに、資材部門の若手のリーダーと一緒に行った際、業者さんの専務が近くのお寿司屋さんにお昼ご飯を食べに行きましょうと誘ってくれました。
資材の人は断りはしたものの、半ば強引な専務のお誘いに折れ、3人でお寿司屋さんへ行く事に…。


『さっ!BARCHETTAさん、ドンドン!好きなもの頼んで下さいね!』とお寿司屋さんでの専務の弁に、でも最初から“大トロ”や“イクラ”って言うのも気が引けた私は、通ぶって最初に“玉子”を頼み次に“ハマチ”を戴き、『さて!ソロソロ、トロに行ってもイイかな』なんて思った瞬間!『ご馳走様でした』と憮然とした口調で言い放ったのは資材のリーダーさんでした。
ちなみにそのリーダーさんは“カッパ巻”と“かんぴょう巻”しか食べていないのですが、『お腹一杯です。ご馳走様でした。』とやはり怒っているとしか思えない口調でそう言うのです。


後でリーダーがそうなってしまった事を私に誤りながら、『でもね、結局そうやって厚意に甘えていると、自分自身の仕事がしにくくなってしまうだけなんだよ』と言われた時に、『あー、この人はプロなんだなぁ』ってそう思った私です。


“マスプロ坊や”みたいな顔をしている守屋というオッサンの人間性を疑い、同時に同じ様にオイシイ思いをしている公僕や政治家が有象無象に居て、今その人達が国会の証人喚問を見て“明日は我が身”と戦々恐々としている事を想像するに際し、ソレを愉快に思う私たちですが、しかし省みて己はどれだけ立派であると言えるのだろうか。


マスプロ顔のオッサンが特異なのではない、彼は私たちの誰もが持つ最も醜い部分を、“利権”という悪意を持つ相手にくすぐられた結果、人として超えてはいけないラインが見えなくなってしまっただけの事です。
誰だって中坊公平の様に清廉潔白なワケではないし、マスプロオヤジと同じ立場に在ったら、私は自身がそうならないと言い切れる自信はありません。
言い切りたくはありますけれどね。


留まる処を知らない様々な儀装問題も、癒着や背任行為も同じですが、批判するのは当然で当たり前ではあるのだけれど、同時に自分自身の事として戒めてゆかなければいけないのだと思うのです。


今のこの混沌が“膿を出し切る”為の過渡的な状態であり、その先にある世界が今よりも少しはマトモで義の通るモノとなる事を祈るばかりです。