沖縄戦集団自決に対する歴史解釈について

来年の高校の歴史の教科書から沖縄戦での軍からの自決強要の記述が削除され、その後の沖縄県民の大抗議を受け、教科書の出版元が自決強要の記載復活の為の修正申請をしていた件で、教科書審議会は既に出した結論を踏襲する形で、申請を差し戻す結論を出したらしい。


誤解を恐れずに言うが、集団自決に軍の強要があったか無かったかは別にして、今回の教科書審議会の決断は明らかに筋が通っている。


私がココで言いたいのは、『集団自決に軍の強要は無かった』という主張を支持するという事では無く、有識者が正規の手続きと時間を掛けて達した国家の歴史解釈に対し、どういう事であれ圧力によってソレが曲げられるという事は絶対に在ってはならない事で、そうとはならなかった事に安心を感じているという事です。


もしこれで教科書審議会が『みんなが反対だっていうので、本当はそうとは言い切れないと思っているのだけれど、やっぱり軍の強要はあった事に変更します』なんていったら、それこそ国家の品格が疑われる様な事になります。


いま私たちが持っている歴史認識が正しいか否かは別にして、歴史というものの真実は一つしかないのです。竹島尖閣列島がどこの国の領土であるかという事だって、現在の実態とは別にして歴史的事実は唯一であるのと同じ事です。
ですから、それはそれで時間を掛けて公正な知見者が研究をして結論を出すしかないのです。


でもそうなったとしても全員が納得する様な結論に至る事は絶対に無いし、それが歴史観というものなのだと思います。


今回の教科書審議会の方針は『軍の強要は無かった』と断定しているのではなく、『集団自決は多様な要因で起きている』というものです。
これを私なりに解釈すると『軍が集団自決を強要したケースもあるが、軍の強要以外を引金とする集団自決のケースもあった』というふうに受け止める事が出来ます。
私はまさにそういう事だったのだろうと思っていますし、それもまたまぎれもなく唯一の歴史的事実です。
もしそうだとすれば、そういう事を両論併記として教科書には書くべきなのだと思います。


でも、それでも沖縄の人たちは納得してくれないのでしょうね。


学生時代、隣の部屋に住んでいた沖縄の友人から聞いたことがあります。
『詰まるところ根底には、自分達(沖縄県民)は内地(本土)の人達に切り捨てられたという思いがあるんだよ』
本当に申し訳ない事だけれど、経験の無い私たちには本当の意味では理解できない思いです。


そういう沖縄の人達が今も持つ思いを知る私は、沖縄戦の集団自決への軍の強要があったという見解について、それが自虐的歴史観に基づくものであるとは言い切る勇気は無いのだけれど、南京大虐殺従軍慰安婦の問題と同様に、そういう見解を持つ人の思いもまた否定はできません。


なんにしてもこれをいい機会と捉え、ヒステリックに反応するのではなく、じっくりと時間を掛けて歴史認識の研究をしてもらいたいと思う私です。
そしてその結果を正々堂々と子供達に残してゆく事が、未だ戦後という時代の中に生きる私たちの責務なのではないでしょうか。


最後に…。
願わくば今晩、古舘一郎には『なぜ!今に至って国家権力は自分達を正当化する事に必至になるのでしょうか』という様な、ウケ狙いの陽動的コメントは控えて欲しいと思う。
こういう問題で大切な事は、客観性とバランス感覚なのですから…。