場が読めない人々

前にも同じ題で書いた気がしますが…。


福田康夫の『公約違反というほど大げさなものなのか…』も、桝添要一の『そうとは言っていません!』も、その発言の意味はともかくとして、しかしまぁホトホト彼らの場を読む力の無さか減には『オマエのバカさ加減には、父ちゃん呆れてものが言えねぇー!バシッ♪』という、あばれはっちゃく東野英心の名言を借りて吐きたくなるほどだ。


私は『政治家のレベルは国民の平均値に近似する』と思っているので、この国民にしてアノ政治家という事になるのだが、しかし(我ながら)我々のレベルは本当にあの様に低いのだろうか…。
そう思ったら情け無くて、『あー、はっちゃくの父ちゃん(東野英心)もそういう気持ちであんな事を言っていたんだろうなぁ』って、そう思ったわけです。


しかし、はっちゃくは周囲には理解されない部分を持った、イワユル“悪ガキ”というレッテルを貼られていたのだけれど、でも本当はとてもナイーブで優しい心をもつ人間だったんですよね。


今の桝添要一の置かれた状況を思うと本当に御苦労様と言いたいし、じゃぁ他の人が取って代って彼以上の仕事ができるのかと考えると、非常に厳しいものがあると思う。
しかし、彼は国民を味方に付ける事が出来て初めて、思いを果たす事が出来るのだから、そうであるならばアノ様な誰がどう聞いても、子供の言い訳レベルの発言は許されるものではありません。
その辺が彼の限界なのでしょうか…。


少しはマシになるという希望の基に、とにかく何でもイイから政権交代しろって事なのでしょうかね。


国内のゴタゴタはそれ自体ワイドショー的には愉快な出来事ではありますが、私たちはそんなちまちました事にパワーを掛けている余裕は無いのです。


言いたくは無いが、しかしホント不幸な私たちだ…。