場が読める人は偉い人で在る事の相関性

先日、多くの人(30人以上)の代表として、私がお使いを果たした時のことです。


私のその行為に対し、4人の方から労(ねぎら)いのメールを頂きました。
その内の3人は50歳代で、席にある立場の管理職をしている人でした。
年齢も社会的地位もある程度以上に在る人に偏っている事、それは偶然では無いと思うのです。
そうかと思えば、特別なやり取りがあっても一切、返事をくれない人もいて、彼は年齢も若く“オレは賢い”的な思い違いをしている人だったりする。


それなりの地位に在る人は、やはり気遣いと場が読めるのだと、例外を恐れずに言えば、そういうことだと思うのです。


場が読めて、心遣いが出来る…。
逆に、心遣いが出来ても、場が読めなければ、それは短なる“お節介”という名の自己満足でしかない。


お互いに気を付け鍛錬しましょうね。